タスマニア再発見

豪州国内で毎月発行されている日豪プレス紙と同時掲載でお送りする新特集
当社代表の千々岩 健一郎が同紙に連載する新しいコラムです。
タスマニアの魅力を新しい切り口で紹介するこのコーナーをどうぞお楽しみください。

第39回日豪プレス 2011年11月号掲載  ホバートの「カーさん」のこと

1970年代のホバートは、日本からの遠洋マグロ漁船の物資補給港でした。 この当時の日本漁船のホバート寄港は平均で年間200隻、シーズンの最も多いときには一日で24隻が港に入ったことがあるという。こういった漁船の入港の手続きや物資の補給のために、日本鰹鮪漁業協同組合(日鰹連)はホバートのウエブスター社と代理店契約を結んだ。1967年からこの会社に勤めて寄港する日本漁船のお世話をするようになったのが「カーさん」ことカー美恵子さんでありました。

カー美恵子さんは、神戸の生まれ、戦後駐留軍事務所にタイピストとして勤めているときにご主人のレン・カー氏と知り合った。熱心なカトリック信者であったレンさんのすすめで、美恵子さんも洗礼を受け、1954年に神戸の教会で結婚式を挙げて、4年間の新婚生活の後でレンさんの故郷タスマニアで生活をすることになった。生まれつき器用な美恵子さんは、近所の人たちに頼まれるまま洋服を作ってあげたりするうちに、日本語を習いたいという人が増え、1966年から2つのカレッジで日本語講座を受け持つことになった。時を同じくして日本漁船の入港が増え、ウエブスターの社員となった後は大忙しの毎日が続くことになった。漁船の修理依頼、燃料や食料などの資材の発注、税関の手続きなど、一日で多数の船が入港するときは「カーさん」の引っ張り合いで戦争のような状況だったらしい。しかし、最も大変だったのは荒くれた漁船員のお世話だった。病気、ケガ、傷害事件と、海の男たちはいろいろな事件を起こしてくれる。漁船員には胃を悪くする人が多く、港の病院でバリウム検査を受けて胃潰瘍と診断されて日本に送り返されたりする。傷害事件を起こした船員のために通訳として法廷に通ったことも数多くあった。しかしどの漁船員も皆、家族のように接してくれる彼女のことを「おカーさん(母さん)」と呼んで親しんだ。 時には子宝に恵まれなかった彼女の家を連れ立って訪ねて家族のように過ごしたそうである。
こんなカー美恵子さんの日豪親善の長年の貢献に対して、
19801月、大平首相の豪州訪問に際して外務大臣表彰が授与された。

カー美恵子さんは1990年ごろまでこの日豪プレスの「各州便り」のコーナーでタスマニア州からのいろいろな話題の提供を担当されていました。
ご主人を亡くされた後も教会の仕事をお元気に続けておられましたが、残念なことに本年
92086歳の長寿を全うされ、ホバートの地で逝去されました。ご冥福を祈ります。

上の写真:左から ホバートの港風景とカー美恵子さん
下の写真:左から ホバートの周辺 風景


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