タスマニア再発見

豪州国内で毎月発行されている日豪プレス紙と同時掲載でお送りする新特集
当社代表の千々岩 健一郎が同紙に連載する新しいコラムです。
タスマニアの魅力を新しい切り口で紹介するこのコーナーをどうぞお楽しみください。

第49回日豪プレス 2012年9月号掲載 「謎の異国船」と クラレンス

クラレンスは、ダーウエントの川を挟んでホバートの対岸にある市だ。この市が、北海道の釧路の近くにある厚岸町と姉妹都市の関係を結んで今年がちょうど30周年となる。提携を祝してクラレンスを訪問の予定であった使節団が東北大震災の影響で延期になり、今年の11月に改めて計画が検討されている。今回は、この日本とオーストラリアのそれぞれ南北に離れた小さな町が何故に姉妹都市となったのか、その経緯についてお話しよう。

「嘉永三年(1850年)四月十六日、一隻の異国船が厚岸町近くの末広沖二里ほどで難破。乗組員は船を捨てて近くの島に上陸し、救助を待っていた様子である。」このような記述が厚岸町の国泰寺の寺日誌に保存されていた。その後、乗組員は助けられ、調査の結果、船の名前はイーモント号、乗組員はイギリス人で「ニーホルラント内のホープルトトウン」からやって来たとされ、鯨を取り南京へ交易に通う船のようであった。鎖国時代の当時のこと、乗組員総勢32名(内1名は死去)は長崎まで移送され、出島から出航するオランダ船に乗せられて日本を離れた。このような記録に関心を寄せて一体どこから来た船であったのかという調査を行ったのが遠藤雅子さんという一人の女性であった。彼女は、この「ホープルトトウン」がタスマニアのホバートではないかと言うことに気づいて、厚岸町から長崎、オーストラリアのキャンベラ、そしてタスマニアまで直接足を運び、古い文書を紐解いてこのイーモント号がまさしくタスマニア(当時のVan Diemen’s Land)から捕鯨のために出航した船であったということを突き止めたのである。

彼女はこの調査の一連の経過を、「謎の異国船:眠っていた日豪交流のルーツを求めて」という書物にまとめ1981年に出版した。そしてこの日豪関係史のほとんど最初のページを飾るであろう事実に基づいて、厚岸町とクラレンス市の姉妹都市提携が行なわれたのが1982年の2月であった。以降、毎年いずれかの市民代表団がそれぞれの市を訪ね、また子供たちがホームステイで海外での生活を体験したりというような交流が行われている。

最後に、出島を離れた31名の乗組員だが、遠藤女史の調査によれば、船長を含む3名だけがホバートに帰り着いたらしい。185022日の出航から、ほぼ1年を経過した翌年3月のことで、帰国後船長は、地元の新聞に遭難船イーモント号乗組員投獄記として一連の経過を掲載している。厚岸町での救難時に海に落ちて亡くなった1名は、長崎まで移送され、稲佐にある悟真寺の国際墓地に埋葬されたらしい。

上の写真:左から 遠藤雅子著「謎の異国船」、イーモント号と同時代の船、厚岸町の紹介パネル
下の写真:左から クラレンスで開催された交流写真パネル展の様子


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