タスマニア再発見

豪州国内で毎月発行されている日豪プレス紙と同時掲載でお送りする新特集
当社代表の千々岩 健一郎が同紙に連載する新しいコラムです。
タスマニアの魅力を新しい切り口で紹介するこのコーナーをどうぞお楽しみください。

第51回日豪プレス 2012年11月号掲載 ホバートに残る日本人水兵の墓碑(後)

前月に続いて、藤本氏による日本人水兵の墓地の探索のその後について記事を続けよう。

新しく移設されたコーネリアンベイの墓地での探索がうまく行かなかった藤本氏は、改めて市役所に赴きクイーンボロウ墓地のことに付いて調べたところ、その場所は現在、ハッチンズ高校になっていることが判明した。氏の友人に偶然この高校の卒業生がいて、学生時代のおぼろげな記憶から何か墓標のようなものが残っていたことを聞いた。すでに夕方近くの遅い時間になっていたが、藤本氏は早速現地に急行、薄暮の中でついに木谷水兵の名前を英語で記した共同墓標を発見するに至ったのである。 
木谷水兵を含む
18名の海軍関係者の墓碑が、コーネリアンベイへの移設の際に共同墓標としてまとめられ残されていたのだ。静かなサンディベイの住宅地の一角、ハッチンズ高校のスポーツ施設にはさまれた場所に、クイーンボロウ記念公園として旧墓地の石碑などを一部残して設けられた公園であった。

その後発見された1902515日付の古い新聞記事によれば、木谷3等水兵の盛大な葬儀が、日本海軍の仕来りで整斉粛々と行われ、千名近くの人々が参列して埋葬地まで行進を行ったことも判明した。 終戦時の混乱の時代を乗り越え海軍に残されていた1枚の写真の事実が94年の時を経て確認されたのである。英国譲りの記録保存のしくみが生きているオーストラリアならでは、そして墓地の移設に際して、過去の墓標の保存に配慮し共同墓標として残したホバート市の対応についても感心させられる。

この発見を契機として、翌年、日本の南極観測船・砕氷艦「しらせ」がこの墓碑への献花を行うことを目的に、初めてタスマニアに立ち寄ることになった。1997319日午前8時30分、4ヶ月間の南極での補給活動を終えた「しらせ」がホバートのマックオリ埠頭に着岸、同日午後2時から故木谷水兵への献花式を遂行した。艦側から帖佐艦長以下6名の士官、オーストラリアからホバート市長他、豪州軍関係者、日本人関係者として藤本氏、メルボルンの駐在武官、日本人クラブのメンバーなど総勢21名が参集し、献花と黙祷を行い、95年間この異国の地で眠り続けている木谷水兵の魂に対する慰霊の式を行った。

最後に、前号から続く今回の内容について、財団法人水交会の機関紙「水交」(平成86月号)に掲載された八廣良太氏(元タスマニア在住海軍出身者)の記事を参考にさせていただいたことを申し添えます。

上の写真: ホバートサンディベイにあるクイーンボロウ記念公園
下の写真: 砕氷艦しらせと献花式の当時の写真


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