タスマニア再発見

豪州国内で毎月発行されている日豪プレス紙と同時掲載でお送りする新特集
当社元代表の千々岩 健一郎が同紙に連載するコラムです。
タスマニアの魅力を新しい切り口で紹介するこのコーナーをどうぞお楽しみください。

第80回日豪プレス 2015年4月号掲載 コールマイン 囚人史跡

ホバート南東部の孤島のようなタスマン半島にポートアーサーの監獄が設置されたのは1833年。これと時を同じくして、この半島の北西部に石炭の鉱床が発見された。

タスマニアへの入植が行われた19世紀の初頭、石炭は重要なエネルギー資源で、それまではるばるシドニー方面から船で運ばれていた。開設された炭鉱は、おだやかなノーフォークベイに面した場所で、堀り出された石炭はこの入り江に突き出した埠頭から船で運び出されることになった。

当時の石炭採掘の労働力はもちろん囚人たちであった。当初は地表に近い鉱床を露天掘りで掘っていたが、規模の拡大に伴い深い縦坑を掘って掘り下げていくことになった。多いときには、囚人の他兵士や役人とその家族を含めて500名以上の人々がこの地に滞在し、縦坑も100m近い深さに達した。それと共に、労働環境は苛酷で厳しいものになったようである。

この当時の囚人を管理するシステムは、懲罰と宗教的な教育を通じて矯正をはかるというのが基本的な方式であった。懲罰には、独房に入れたり鞭打ちをしたりというようなことが行われていたが、地下深い暗くて湿った坑道の中でのきびしい労働もこの懲罰的な処置と同等のものであったであろう。1946年ごろのこの場所は、モラルに欠けたきわめて醜悪な場所であったとの記録があり、それから2年後の1948年には政府がこの場所を手放すことになった。その後、民間の会社によって運営が続けられ、1877年に最終的に閉鎖になった。

この炭鉱跡囚人史跡は、2007年に国立文化遺産に、更に2010年にはポートアーサーと共に、囚人史跡として世界遺産の指定を受けた。
場所は、ホバートから車で1時間半、9号線のハイウエイを南下し、タスマン半島のTarannaを過ぎてから右折、更に15kほど北東にすすんだ地点にある。面積350HAの広大な敷地の中に、独房のある砂岩作りの刑務所棟やホバートとポートアーサーを繋ぐ腕木通信を行った丘、縦坑、船着場、鉄道の引かれていた痕跡などが残り、1時間半ぐらい時間をかけて歩いて回る周遊コースが作られている。改修の手がほとんど入っておらず、崩れかけた煉瓦や砂岩の建物がそのまま残されている。訪問数年間30万人のポートアーサーと異なり訪れる人のずっと少ないこの場所だが、それだけに孤立したような独特の雰囲気を感じさせる場所である。

上の写真:史跡の入り口看板と刑務所棟の周辺 
下の写真:左から 船着場付近、兵站部士官住居跡、縦坑跡


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